千顯会とは ( 正式名称:大東流合気柔術 千顯会(DAT) )
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大東流合気柔術 中興の祖 武田惣角源正義 直伝 中津平三郎先生より昭和35年に巻物2巻と共に免許を賜った、徳島県阿波池田の浄光寺住職 千葉紹隆師範が、平成29年6月に大東流をそのまま後世に継承していく様にとの深い思いで顕木師範に全てを託しつつ、7月1日付で【千顯会】(せんけんかい)を発足しました。
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顕木培功師範(1952年生まれ)は 白鳳流 総長 岡林良一氏(平成30年2月20日没)に長年師事しておりましたが、岡林師範が大東流合気柔術 琢磨会から独立し白鳳会を発足後、白鳳流を創設された事をきっかけに袖を分かち、それ以降琢磨会に在籍しつつ26年間、阿波池田の千葉師範、徳島県の井沢師範を師事し四国阿波池田に残された大東流柔術と合気之柔術の修得に心血を注ぐこととなりました。
平成29年10月8日、千顯会の第一回研修会を阿波池田で開催し、高弟数名が千葉師範から厳しく指導を受けたのを最後に、千葉師範は同年10月24日 突然永眠されました(86歳没)。そして年が改まった平成30年1月1日、師の思いのまま【千顯会】は顕木師範が引き継ぐ事となりました。 千葉師範は【琢磨会】の名付け親でもありますが【千顯会】の名も師範によるものであります。 師は門人を増やしたいとか大東流を広めたいとの野心は持っておられず、常日頃から「稽古は極道の道楽じゃからなぁ、仕事が一番じゃ。しっかり働くよう」と戒めておられました。武田時宗 宗家先生も同じような言葉を言っておられたようです。 また、千葉師範は表舞台には出ることはあまり好まず、ただただ武田惣角から中津平三郎へと受継がれた技を絶やすまいとの思いで、昔ながらの技を昔ながらの指導で教授して来られました。 まさに松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)であります。 【千顯会】は現在 支部も門人数も少ないですが、関西に残る大東流柔術と合気之柔術の伝承に精進邁進し有形の技を以って無形の心を鍛えながら大東流を伝承していく団体です。 ◇◇◇ 余談 ◇◇◇ 生前千葉師範は、『合気投げ』という言葉は一切口にすることはありませんでした。 「こう投げるんじゃ」「こう投げたらいいんじゃ」と指導されました。『合気』と云う言葉も口にすることがほとんどありませんでした。 その昔の大東流では合気投げとは云わなかったのかもしれませんね。(生前確認はしておりませんが・・・) でも『合気とは・・・であり・・・である。』と説かれており、我々はそれを感じられるようになるための長き修行が続きます。 |