~ 師の独り言 ~
◇ 其之七 ◇
年頭のご挨拶 と【点と線と面】について
年頭のご挨拶 と【点と線と面】について
皇紀2684年、明けましておめでとうございます。
今年は、干支の甲辰(きのえたつ)と九星の三碧木星(さんぺきもくせい)が重なる年です。
『甲』は大きく育つ大樹を意味し、『木』の気を持つ『三碧木星』が合わさることで金運が育つとされています。
また、『辰年』は龍が天より膨大なエネルギーと共に人々に幸運をもたらすと言われております。三碧木星の甲辰は金運が降臨するまたとない年なのです。
皆様方におかれましても最高の一年になりますよう心よりお祈り申し上げます。
さて、大東流合気柔術千顯会は、国内外を問わず年々会員数も増え、また個々の技術も向上している事を頼もしく思います。
私も気が付けば、45年の歳月を大東流と向き合ってまいりましたが、まだまだヒヨコであり、これからも益々精進していかねばならない。その為には身体を鍛え直さねばならないと真に感じております。
本日元旦にて、この世に生まれて26,035日目を迎えましたが、あと10,000日は頑張りたく考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
年の初めに、稽古の一助となればと私が30年以上心のどこかに持ち続けていたテーマである、当流における【面 と 線 と 点】について述べさせていただきます。参考になれば幸いです。
点が集まれば線になり、線が集まれば面になります。攻撃に対し、点・線で受けるより面の方が圧力を分散しやすくダメージも和らぎます。しかし、密着面積が大きければ摩擦抵抗も大きく、何より敵の神経系統を刺激し動かしにくくなる。
そうなんです。面から線に変化し、そして点になり面となるのです。
千顯会では動画の公開は一切認めておりません。技の文書での説明もしておりません。大東流の技は、実際に見たからできるものではないし、説明を受けたからできるものではありません。動画を公開する意味が私には見つかりません。見た人からゴジャゴジャ言われるだけでなんの意味も持たない。
30年以上持ち続けていたテーマが、ほんの数行の説明で終わる訳がありませんし、これ以上文章で説明してもこれまた意味がない。個々が稽古の中から感じ取ってほしいと思います。
最後に、合気道は円運動とよく言われますが、大東流はどうなのか?諸先輩方から大東流は螺旋運動であり直線的運動であるようなことも耳にしましたが、現時点では大東流は円運動であると言い切ります。
ごくごく小さい円運動は点にしか見えない。点の集まりが線に見え直線にも螺旋にも見えてしまうのです。小さな円運動の連鎖は非常に難しく時間をかけなければなりません。このことも今年の稽古の参考にしてください。
おまけ…
極意は日常の中にある。四六時中稽古と思えるならば、必ず極意は見つかります。
今年は、干支の甲辰(きのえたつ)と九星の三碧木星(さんぺきもくせい)が重なる年です。
『甲』は大きく育つ大樹を意味し、『木』の気を持つ『三碧木星』が合わさることで金運が育つとされています。
また、『辰年』は龍が天より膨大なエネルギーと共に人々に幸運をもたらすと言われております。三碧木星の甲辰は金運が降臨するまたとない年なのです。
皆様方におかれましても最高の一年になりますよう心よりお祈り申し上げます。
さて、大東流合気柔術千顯会は、国内外を問わず年々会員数も増え、また個々の技術も向上している事を頼もしく思います。
私も気が付けば、45年の歳月を大東流と向き合ってまいりましたが、まだまだヒヨコであり、これからも益々精進していかねばならない。その為には身体を鍛え直さねばならないと真に感じております。
本日元旦にて、この世に生まれて26,035日目を迎えましたが、あと10,000日は頑張りたく考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
年の初めに、稽古の一助となればと私が30年以上心のどこかに持ち続けていたテーマである、当流における【面 と 線 と 点】について述べさせていただきます。参考になれば幸いです。
点が集まれば線になり、線が集まれば面になります。攻撃に対し、点・線で受けるより面の方が圧力を分散しやすくダメージも和らぎます。しかし、密着面積が大きければ摩擦抵抗も大きく、何より敵の神経系統を刺激し動かしにくくなる。
そうなんです。面から線に変化し、そして点になり面となるのです。
千顯会では動画の公開は一切認めておりません。技の文書での説明もしておりません。大東流の技は、実際に見たからできるものではないし、説明を受けたからできるものではありません。動画を公開する意味が私には見つかりません。見た人からゴジャゴジャ言われるだけでなんの意味も持たない。
30年以上持ち続けていたテーマが、ほんの数行の説明で終わる訳がありませんし、これ以上文章で説明してもこれまた意味がない。個々が稽古の中から感じ取ってほしいと思います。
最後に、合気道は円運動とよく言われますが、大東流はどうなのか?諸先輩方から大東流は螺旋運動であり直線的運動であるようなことも耳にしましたが、現時点では大東流は円運動であると言い切ります。
ごくごく小さい円運動は点にしか見えない。点の集まりが線に見え直線にも螺旋にも見えてしまうのです。小さな円運動の連鎖は非常に難しく時間をかけなければなりません。このことも今年の稽古の参考にしてください。
おまけ…
極意は日常の中にある。四六時中稽古と思えるならば、必ず極意は見つかります。
◇ 其之六 ◇
千顯会発足5周年に想う 【後編】
千顯会発足5周年に想う 【後編】
平成3年(1991)38歳の時より千葉先生に指導を受けることになった経緯について申しますと、琢磨会が黒帯研修会と銘打って、徳島県脇町の脇町カルチャーセンター(大西先生所有)で開催されたのに参加したのが、千葉先生(当時59歳)との初稽古でした。面白いように投げられ固められました。
そして次の研修会開催を楽しみにしていたのですが、残念ながら韓国に出張となったので欠席せざるを得ない旨、当時の岡林良一師範に申し上げに伺った折、『これを千葉先生に』と手土産を託しましたところ、後日千葉先生からお礼のお電話を頂戴し、恐縮したのを覚えております。
それから数か月が経ったある晩、川辺師範から電話を頂き『実は、千葉先生宅で稽古を月1回やっている、先生から顕木さんも誘ってほしいと言われた』とのことで次回の稽古日の案内を頂きました。稽古は平日の午前10時半から夜の10時ごろまでとの事。私はサラリーマンなので平日はかなり厳しいものがありましたが、この機を逃してはなるものかと有給をとり、2回ほど参加したころ、千葉先生が『平日は顕木さんが大変やろうから土曜日にしてはどうか』と言って頂き、土曜日に変更となりました。
後日、千葉先生・井澤先生から伺ったところ、数年前から千葉先生宅での稽古をされておられ琢磨会で有望な人材はいないか?と千葉先生が宇都宮守師範に電話された処、川辺師範を紹介されたとの事でした。
当時は、瀬戸大橋が開通(1988.4.10)したところで 新幹線で岡山からJR阿波池田駅まで行って、帰りは井澤先生に徳島・小松島港まで車で送って頂き、夜中のフェリーで和歌山港に早朝着の便で戻りそのまま会社に出勤しておりました。土曜日開催に変わった時は、朝自宅に戻り、そのまま宝塚の稽古に出向いておりました。
そんな折、NHK高松の支社長の沖津さん(故人。小松島の蒔田先生のお弟子さん)からNHK高松でカルチャーとして大東流合気柔術を開設したいのだが・・・との話があり NHK高松カルチャーセンターで千葉・井澤師範の大東流合気柔術講座が1991年4月より毎週土曜日 午後6時より開設する事となった為、千葉先生ご自宅稽古もなくなる事となってしまいました(ご自宅も改築されたため稽古はできなくなる)。
ご自宅でのご指導を受けるのが難しくなり考えた末、初歩より指導されるカルチャーを受講する事に決め、それ以降月2~3回、兵庫県伊丹市の自宅→神戸/青木フェリー→高松まで片道7時間半ほどかけて2時間の稽古に参加を続けました。それは大変なことではありましたがそれ以上に学ぶ事、覚える事が多く、毎回興奮して翌日早朝帰宅し、朝食後宝塚の稽古をしておりました。このような事を10年強続け千葉先生が70歳過ぎの時、NHKカルチャーを引退されるに合わせ私もカルチャーを卒業しました。
気が付けば私も50歳を過ぎておりました。
千葉先生宅にも何度となくお伺いし、家族の一員のように可愛がられました。また、千葉先生・井澤先生も私の自宅に何度となく泊って頂き貴重なお話を伺ったなつかしい思い出が山ほどあります。千葉先生はちょっと変人のような所も確かにありましたが、私にはなんでもお話しされました。よく奥様から『またそんなこと言って』と言われる事が再三ありました。
晩年千葉先生は、琢磨会の事も気にされておられましたので 私の方から『一度、森総務長 とお話しされればいかがですか、調整させてもらいますが・・・』と申し上げたところ、『これが最後になるかなぁ』と快諾されましたので、甲子園支部の中山副幹事長経由で森総務長に打診してもらい、森総務長からも快諾頂き、いよいよ関西の大御所のご対面が実現する。これで関西の大東流も安泰と思い、会場等の準備を進めました。会場は【がんこ宝塚苑】、千葉先生ご夫妻の宿泊先は【宝塚ホテル】。ご夫妻には宝塚歌劇観劇(題目:織田信長)も手配しておりましたところ、森総務長の体調がすぐれず(耳が不調)残念ながらお会いできなくなったとの連絡が入りました。至極残念でありましたが、千葉先生ご夫妻を当日車でお迎えに行き、ご来宝頂きました。平成28年(2016年)6月25日のことでした。
今思うと、この企画が実現していれば千顯会は出来ていなかったかもしれません。
大東流の神様に導かれ諸々の事が整っていっているように感じます。人智では計り知れませんね。
千顯会も早7年目(2017年7月1日発足)に突入しました、これから先も大東流の神様に導かれ、千葉先生が受け継がれた技を顯(あらわ)す会の発展の為、日々精進してまいる所存です。
今後とも皆様方のご支援ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。
大東流合気柔術 千顯会
会長 顕木培功
そして次の研修会開催を楽しみにしていたのですが、残念ながら韓国に出張となったので欠席せざるを得ない旨、当時の岡林良一師範に申し上げに伺った折、『これを千葉先生に』と手土産を託しましたところ、後日千葉先生からお礼のお電話を頂戴し、恐縮したのを覚えております。
それから数か月が経ったある晩、川辺師範から電話を頂き『実は、千葉先生宅で稽古を月1回やっている、先生から顕木さんも誘ってほしいと言われた』とのことで次回の稽古日の案内を頂きました。稽古は平日の午前10時半から夜の10時ごろまでとの事。私はサラリーマンなので平日はかなり厳しいものがありましたが、この機を逃してはなるものかと有給をとり、2回ほど参加したころ、千葉先生が『平日は顕木さんが大変やろうから土曜日にしてはどうか』と言って頂き、土曜日に変更となりました。
後日、千葉先生・井澤先生から伺ったところ、数年前から千葉先生宅での稽古をされておられ琢磨会で有望な人材はいないか?と千葉先生が宇都宮守師範に電話された処、川辺師範を紹介されたとの事でした。
当時は、瀬戸大橋が開通(1988.4.10)したところで 新幹線で岡山からJR阿波池田駅まで行って、帰りは井澤先生に徳島・小松島港まで車で送って頂き、夜中のフェリーで和歌山港に早朝着の便で戻りそのまま会社に出勤しておりました。土曜日開催に変わった時は、朝自宅に戻り、そのまま宝塚の稽古に出向いておりました。
そんな折、NHK高松の支社長の沖津さん(故人。小松島の蒔田先生のお弟子さん)からNHK高松でカルチャーとして大東流合気柔術を開設したいのだが・・・との話があり NHK高松カルチャーセンターで千葉・井澤師範の大東流合気柔術講座が1991年4月より毎週土曜日 午後6時より開設する事となった為、千葉先生ご自宅稽古もなくなる事となってしまいました(ご自宅も改築されたため稽古はできなくなる)。
ご自宅でのご指導を受けるのが難しくなり考えた末、初歩より指導されるカルチャーを受講する事に決め、それ以降月2~3回、兵庫県伊丹市の自宅→神戸/青木フェリー→高松まで片道7時間半ほどかけて2時間の稽古に参加を続けました。それは大変なことではありましたがそれ以上に学ぶ事、覚える事が多く、毎回興奮して翌日早朝帰宅し、朝食後宝塚の稽古をしておりました。このような事を10年強続け千葉先生が70歳過ぎの時、NHKカルチャーを引退されるに合わせ私もカルチャーを卒業しました。
気が付けば私も50歳を過ぎておりました。
千葉先生宅にも何度となくお伺いし、家族の一員のように可愛がられました。また、千葉先生・井澤先生も私の自宅に何度となく泊って頂き貴重なお話を伺ったなつかしい思い出が山ほどあります。千葉先生はちょっと変人のような所も確かにありましたが、私にはなんでもお話しされました。よく奥様から『またそんなこと言って』と言われる事が再三ありました。
晩年千葉先生は、琢磨会の事も気にされておられましたので 私の方から『一度、森総務長 とお話しされればいかがですか、調整させてもらいますが・・・』と申し上げたところ、『これが最後になるかなぁ』と快諾されましたので、甲子園支部の中山副幹事長経由で森総務長に打診してもらい、森総務長からも快諾頂き、いよいよ関西の大御所のご対面が実現する。これで関西の大東流も安泰と思い、会場等の準備を進めました。会場は【がんこ宝塚苑】、千葉先生ご夫妻の宿泊先は【宝塚ホテル】。ご夫妻には宝塚歌劇観劇(題目:織田信長)も手配しておりましたところ、森総務長の体調がすぐれず(耳が不調)残念ながらお会いできなくなったとの連絡が入りました。至極残念でありましたが、千葉先生ご夫妻を当日車でお迎えに行き、ご来宝頂きました。平成28年(2016年)6月25日のことでした。
今思うと、この企画が実現していれば千顯会は出来ていなかったかもしれません。
大東流の神様に導かれ諸々の事が整っていっているように感じます。人智では計り知れませんね。
千顯会も早7年目(2017年7月1日発足)に突入しました、これから先も大東流の神様に導かれ、千葉先生が受け継がれた技を顯(あらわ)す会の発展の為、日々精進してまいる所存です。
今後とも皆様方のご支援ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。
大東流合気柔術 千顯会
会長 顕木培功
◇ 其之五 ◇
千顯会発足5周年に想う 【前編】
千顯会発足5周年に想う 【前編】
新年あけましておめでとうございます。
千顯会は、2022年7月1日、5周年を迎えることができました。
会員並びに当会運営にご理解ご尽力賜りました皆様方へ心より感謝申し上げます。
2017年7月1日に発足し早いもので5年の歳月が過ぎようとしております。
千葉先生が後世の為、設立を考え始められたのが前年の2016年春頃でした。
徳島県池田のご自宅(浄光寺)での私との会話の中で初めて口にされました。
それまで一度も会派設立については話されるどころか否定されておられたので、耳にした時は半信半疑でありました。そして、琢磨会の事、四国本部の事、色々とお話していただきました。
私は1991年より千葉先生より指導を受け、ご自宅にも数え切れないほどお伺いしておりますが、一度も技についてこちらから聞くことはしなかったです。
今から思うと惜しい感じがしますが、先生から色々と教えてくださいました。
目から鱗が落ちるといいますが、ご自宅での一つ一つがびっくりの連続でした。
千葉先生は2017年10月24日に亡くなられたのですが、その16日前の10月8日、池田中学校で千顯会の第一回講習会を開催する事になったのです。
先生は当時体調が万全ではなくリハビリのため入院されていたのですが、講習会の数日前にお電話(携帯)で『今度は今まで教えていなかった事をやろうか』と楽しみにされておられ、あまり無理はしないでください、と申し上げたところ、『大丈夫じゃから、朝病院まで迎えに来てくれ』と言われました。
奥様からは『顕木さん、無茶をするからとめてくださいよ、それと道着は持たさないから』と。
当日の朝病院に車でお迎えに伺うと、なんと病院の正門に先生、奥様と弟さんの三人が立って待っておられ、先生はニコニコ顔で車に乗り込まれました。そして講習会が定刻通り始まるといつものように元気よくご指導を頂きました。私服のままでありましたが、投げるわ固めるわ、それは熱のこもったご指導をしていただきました。
“病み上がりとは思えないし、86歳とは信じられないなぁ”…と全員の感想。
それから16日後、私は仕事で中国に出張中、奥様から突如電話が入り『千葉が浄土に行きました』との訃報にびっくり仰天、信じられず、帰国も出来ず、告別式も失礼してしまいました。
帰国翌日の土曜朝一番で車を飛ばし位牌に手を合わせました。奥様から『8日の稽古に行ってもらってよかったです、私は内心 やめとけばと思っていたのですが 今となればよかったと思っている』とおっしゃってもらい私も救われました。
また 『告別式にはお弟子さんにたくさん来てもらいありがとう御座いました』とお礼申されました。
先生が亡くなられた後も先生宅を訪れる機会があり、奥様やご家族の方と思い出話で花が咲きました。
2018年三回忌を終え、来年2023年七回忌の法要が営まれます。
千葉先生から教わった数多くの事を、千顯会に伝え残す事が私の使命と感じており できる限り忠実に伝えていくつもりです。
実は未だに夢で指導いただいております。ビックリでしょ。
(後編に続く)
千顯会は、2022年7月1日、5周年を迎えることができました。
会員並びに当会運営にご理解ご尽力賜りました皆様方へ心より感謝申し上げます。
2017年7月1日に発足し早いもので5年の歳月が過ぎようとしております。
千葉先生が後世の為、設立を考え始められたのが前年の2016年春頃でした。
徳島県池田のご自宅(浄光寺)での私との会話の中で初めて口にされました。
それまで一度も会派設立については話されるどころか否定されておられたので、耳にした時は半信半疑でありました。そして、琢磨会の事、四国本部の事、色々とお話していただきました。
私は1991年より千葉先生より指導を受け、ご自宅にも数え切れないほどお伺いしておりますが、一度も技についてこちらから聞くことはしなかったです。
今から思うと惜しい感じがしますが、先生から色々と教えてくださいました。
目から鱗が落ちるといいますが、ご自宅での一つ一つがびっくりの連続でした。
千葉先生は2017年10月24日に亡くなられたのですが、その16日前の10月8日、池田中学校で千顯会の第一回講習会を開催する事になったのです。
先生は当時体調が万全ではなくリハビリのため入院されていたのですが、講習会の数日前にお電話(携帯)で『今度は今まで教えていなかった事をやろうか』と楽しみにされておられ、あまり無理はしないでください、と申し上げたところ、『大丈夫じゃから、朝病院まで迎えに来てくれ』と言われました。
奥様からは『顕木さん、無茶をするからとめてくださいよ、それと道着は持たさないから』と。
当日の朝病院に車でお迎えに伺うと、なんと病院の正門に先生、奥様と弟さんの三人が立って待っておられ、先生はニコニコ顔で車に乗り込まれました。そして講習会が定刻通り始まるといつものように元気よくご指導を頂きました。私服のままでありましたが、投げるわ固めるわ、それは熱のこもったご指導をしていただきました。
“病み上がりとは思えないし、86歳とは信じられないなぁ”…と全員の感想。
それから16日後、私は仕事で中国に出張中、奥様から突如電話が入り『千葉が浄土に行きました』との訃報にびっくり仰天、信じられず、帰国も出来ず、告別式も失礼してしまいました。
帰国翌日の土曜朝一番で車を飛ばし位牌に手を合わせました。奥様から『8日の稽古に行ってもらってよかったです、私は内心 やめとけばと思っていたのですが 今となればよかったと思っている』とおっしゃってもらい私も救われました。
また 『告別式にはお弟子さんにたくさん来てもらいありがとう御座いました』とお礼申されました。
先生が亡くなられた後も先生宅を訪れる機会があり、奥様やご家族の方と思い出話で花が咲きました。
2018年三回忌を終え、来年2023年七回忌の法要が営まれます。
千葉先生から教わった数多くの事を、千顯会に伝え残す事が私の使命と感じており できる限り忠実に伝えていくつもりです。
実は未だに夢で指導いただいております。ビックリでしょ。
(後編に続く)
◇ 其之四 ◇
力について
力について
入門仕立ての頃 、よく『力を抜いて』と言われたことがあると思います。
でも...力を抜いたらダメなんです。 この表現は指導には適していないのです。
また、相反する指導で『力を入れて』と言われる事もあるでしょう。これも適してはいない。
私たちが会得しようとしている武術には今回のテーマである『力』が必要なんです。
怪力の持ち主は有利でありますし、跳躍力などのある人はすばらしいです。これらはすべて筋肉による動作です。
しかしそれだけでは、当流の術体得には役に立ちません。すべての人は脳からの指令により筋肉を動かし、行動を起こします。身体は脳が支配(コントロール)しているのです。指令速度100分の1秒が生死を分けるわけですから。
ちょっと横道にそれますが・・・
筋肉には遅筋・速筋があり、魚で例えれば イワシなど白身の魚は速筋でありマグロなど赤身の魚は遅筋なんです。
浅いところにいる魚は敵が多く瞬発力が必要なので速筋、深海にいる魚は持久力が必要なので遅筋なんです。
短距離に向いているのが白身の筋肉、マラソンに向いているのが赤身の筋肉、武術には両方の筋肉が必要となります。そのために日々鍛錬をしなければいけません。
昔は天秤棒を担ぎ、鍬で田んぼを耕し、鉈で木を切る、言ってみれば四六時中鍛錬です。多分赤身の筋肉が発達していたと考えます。そして、生きるために必要な白身の筋肉を造り上げ脳からの指令速度を高める為に色んな武術の鍛錬方法と稽古方法などが考案され、技に工夫がなされたものと考えます。
現代人とはかなり筋肉の質が違っていたのではないでしょうか。生活様式が全く違うのですから。
私の子供の時からしても全然違うわけですし、武田惣角の子供の時から既に150年も経っているのです。
大東流の技を現代の生活様式から理解しようとした時、”術”が抜け落ちてしまいます。”術”は言葉では残すことができない、”術”は言葉では伝えられない、と思います。
そのため、先達は”口伝”として短文なり言葉としての感覚的表現で以て継承してきたものと考えます。
私は言葉や写真やビデオですらこの武技を理解する事は不可能と考えております。
今の時代ですから、ホームページとかフェイスブックには稽古写真は載せますが、技の説明とか動画の掲載は禁止しております。海外支部に於いても同様です。 何の意味も持たないからですから・・・。
話を戻しましょう。
多くは、力の使い方が出来ていないのです。必要な時に必要な力量を出す。
そうです。
『力を入れる』ではなく『力を出す』が正解なのです。
『力を抜く』でなく『必要以上の力量は不要』が正解なのです。
日常生活で出来ている事(必要に応じた力量の出し方)が「技」となるとできない。
それは何故か・・・
『技を信じ切る』ことが初心者には不十分なのです。技に身を任せる事が出来ていないのではないでしょうか。
本来100の力量が必要としても、技に秘められた術力量を50出せれば 半分の力量で済むのです。
稽古を積み、鍛錬を積んでくれば 術力量を60、 70 と増すことができるのです。
先ほども申し上げましたが、身体は脳が支配しており指令速度を高めるためには、速筋を鍛え上げ早い動きの鍛錬が有益と考えております。
しかしながら、当流の技は非常に精密な構造になっているので、精神が疲れている時にはゆっくりした動作で技の体得に努め、単純な動きは早く動く稽古とする。ゆっくりした動きで終始していれば脳が活性されず、身体も活性されません。
千葉先生も『力は必要である』と言っておられました。
昨今、大東流合気柔術が”武芸”になっているようにも見受けられます。武芸そのものは素晴らしい事であり否定するものでもありませんが、私は武芸とは武術の先にあるものでなければならないと考えます。
武芸の域に達するには相当な時間を要すると思いますし、私自身その域に達するとは現時点では考えられません。
大東流の技に秘められた術、消え去られた術、それにまつわる口伝を顧みてまさに、古(いにしえ)を稽(かんが)えながらの稽古です。
不細工な、見てくれの悪い技にこそ術が秘められている事に気付き、技を信じて、最小限の力で最大の効果を生み出すことが出来るよう門下一同精進していきましょう。
それまでは、筋トレでもして体を造り上げていく事です。
最後に・・・、武術には力を抜く事はあり得ません。
間が抜ければ間抜けとなり、刀を鞘から抜く、すなわち抜刀ですが、抜いた時は死を覚悟して斬らねばなりません。
素肌武芸の柔術に於いて力を抜いたら死あるのみと知らねばなりません。
でも...力を抜いたらダメなんです。 この表現は指導には適していないのです。
また、相反する指導で『力を入れて』と言われる事もあるでしょう。これも適してはいない。
私たちが会得しようとしている武術には今回のテーマである『力』が必要なんです。
怪力の持ち主は有利でありますし、跳躍力などのある人はすばらしいです。これらはすべて筋肉による動作です。
しかしそれだけでは、当流の術体得には役に立ちません。すべての人は脳からの指令により筋肉を動かし、行動を起こします。身体は脳が支配(コントロール)しているのです。指令速度100分の1秒が生死を分けるわけですから。
ちょっと横道にそれますが・・・
筋肉には遅筋・速筋があり、魚で例えれば イワシなど白身の魚は速筋でありマグロなど赤身の魚は遅筋なんです。
浅いところにいる魚は敵が多く瞬発力が必要なので速筋、深海にいる魚は持久力が必要なので遅筋なんです。
短距離に向いているのが白身の筋肉、マラソンに向いているのが赤身の筋肉、武術には両方の筋肉が必要となります。そのために日々鍛錬をしなければいけません。
昔は天秤棒を担ぎ、鍬で田んぼを耕し、鉈で木を切る、言ってみれば四六時中鍛錬です。多分赤身の筋肉が発達していたと考えます。そして、生きるために必要な白身の筋肉を造り上げ脳からの指令速度を高める為に色んな武術の鍛錬方法と稽古方法などが考案され、技に工夫がなされたものと考えます。
現代人とはかなり筋肉の質が違っていたのではないでしょうか。生活様式が全く違うのですから。
私の子供の時からしても全然違うわけですし、武田惣角の子供の時から既に150年も経っているのです。
大東流の技を現代の生活様式から理解しようとした時、”術”が抜け落ちてしまいます。”術”は言葉では残すことができない、”術”は言葉では伝えられない、と思います。
そのため、先達は”口伝”として短文なり言葉としての感覚的表現で以て継承してきたものと考えます。
私は言葉や写真やビデオですらこの武技を理解する事は不可能と考えております。
今の時代ですから、ホームページとかフェイスブックには稽古写真は載せますが、技の説明とか動画の掲載は禁止しております。海外支部に於いても同様です。 何の意味も持たないからですから・・・。
話を戻しましょう。
多くは、力の使い方が出来ていないのです。必要な時に必要な力量を出す。
そうです。
『力を入れる』ではなく『力を出す』が正解なのです。
『力を抜く』でなく『必要以上の力量は不要』が正解なのです。
日常生活で出来ている事(必要に応じた力量の出し方)が「技」となるとできない。
それは何故か・・・
『技を信じ切る』ことが初心者には不十分なのです。技に身を任せる事が出来ていないのではないでしょうか。
本来100の力量が必要としても、技に秘められた術力量を50出せれば 半分の力量で済むのです。
稽古を積み、鍛錬を積んでくれば 術力量を60、 70 と増すことができるのです。
先ほども申し上げましたが、身体は脳が支配しており指令速度を高めるためには、速筋を鍛え上げ早い動きの鍛錬が有益と考えております。
しかしながら、当流の技は非常に精密な構造になっているので、精神が疲れている時にはゆっくりした動作で技の体得に努め、単純な動きは早く動く稽古とする。ゆっくりした動きで終始していれば脳が活性されず、身体も活性されません。
千葉先生も『力は必要である』と言っておられました。
昨今、大東流合気柔術が”武芸”になっているようにも見受けられます。武芸そのものは素晴らしい事であり否定するものでもありませんが、私は武芸とは武術の先にあるものでなければならないと考えます。
武芸の域に達するには相当な時間を要すると思いますし、私自身その域に達するとは現時点では考えられません。
大東流の技に秘められた術、消え去られた術、それにまつわる口伝を顧みてまさに、古(いにしえ)を稽(かんが)えながらの稽古です。
不細工な、見てくれの悪い技にこそ術が秘められている事に気付き、技を信じて、最小限の力で最大の効果を生み出すことが出来るよう門下一同精進していきましょう。
それまでは、筋トレでもして体を造り上げていく事です。
最後に・・・、武術には力を抜く事はあり得ません。
間が抜ければ間抜けとなり、刀を鞘から抜く、すなわち抜刀ですが、抜いた時は死を覚悟して斬らねばなりません。
素肌武芸の柔術に於いて力を抜いたら死あるのみと知らねばなりません。
年頭に思う(2021)
あけましておめでとうございます。
年頭にあたり一言ご挨拶申し上げます。
世の中、コロナ感染拡大が収まりません。皆様方におかれましても感染防止対策の徹底をおねがいします。
今年は千顯会発足5年目になります。早いものです。
思い起こせば私が還暦を迎えた時、千葉紹隆師範より2枚の色紙を頂戴しました。
『和顔愛語』の四文字。
そしてもう一枚には、
『人は年を重ねて還暦を迎え 良き門下良友恵まれ 希望情熱忘れるな』です。
千葉先生談:年でうまく書けんようになったわ。
とおっしゃっておられました。
御年81歳、まだまだお元気でした。
コロナ禍の中、希望と情熱を持って日々が修行と思い今年も精進してまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
年頭にあたり一言ご挨拶申し上げます。
世の中、コロナ感染拡大が収まりません。皆様方におかれましても感染防止対策の徹底をおねがいします。
今年は千顯会発足5年目になります。早いものです。
思い起こせば私が還暦を迎えた時、千葉紹隆師範より2枚の色紙を頂戴しました。
『和顔愛語』の四文字。
そしてもう一枚には、
『人は年を重ねて還暦を迎え 良き門下良友恵まれ 希望情熱忘れるな』です。
千葉先生談:年でうまく書けんようになったわ。
とおっしゃっておられました。
御年81歳、まだまだお元気でした。
コロナ禍の中、希望と情熱を持って日々が修行と思い今年も精進してまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
皇紀2681年元旦
大東流合気柔術 千顯会 (DAT)
代表 顕木培功
大東流合気柔術 千顯会 (DAT)
代表 顕木培功
◇ 其之三 ◇
残心(残身・残芯)
『心を残す』とは・・・生死を伴う戦いの末、止めを刺し尚も気を緩めることのない状態。
お酒が注がれた盃を全力で振ってなお、お酒が盃に残っている状態と表現される事もあります。
私の考えは、上述の内容を踏まえ相手に対する【念】が心になければならないと考えます。
生きとし生けるものみなは、常に命を懸けて生きているわけです。この平和な日本においても同じです。
私たち日本人に自然と身についている『いただきます』が『残心の心』ではないかと・・・。
何をいただくのか? ずばり【いのち】なのです。生き続けるために他のいのちをいただくのです。
また、【いただき】とは山の頂上を表します。すなわち他のいのちを尊び崇め合掌をするのです。
国技としての相撲の取り組みで勝者がガッツポーズする事に日本人は違和感を感じるのは、この様な武道感が身に付いているからではないでしょうか。外国の方には理解しにくいかもしれませんね。
当流においては・・・
残心についての明確な表現は一度も耳にしたことはありませんが、『残心をとるように』との指導を受けたことはあります。
しかし、『敵が物陰から狙っているかも知れないから』と手の使い方・目の使い方等は教えられました。
師曰く『両手をバンザイしての残心は意味がないじゃろ、演武用かな、他流でも見ないじゃろ』と。
『残心は近くでするものじゃ』とも指導されました。
余談...
千葉先生の弟子として25年以上の長き時間、道場での指導、師宅での指導、我家での貴重なお話等々は、私の武道感の根幹を成している事は間違いありません。
『目立たんほうがええんじゃ、極道の道楽じゃからな』『技については本当の事は言わんわ』『ウソも言っとらんけどな』とおしゃっていたのが懐かしい。
2020年7月1日で4年目に突入となった【千顯会】、時間の経つのが早いです。
思い起こせば 2017年5月 師宅を訪れた時、唐突に会派設立の話があり、既に会派名まで数種類考え半紙に墨で書かれてありました。そして、琢磨会から脱会し、四国本部も解散する旨を話されました。脱会・解散についての理由はここでは申し上げれませんが 『後世に残すためじゃ』と申されました。
2017年6月11日、千葉先生の四国本部としての最後の講習会が徳島県脇町中学校武道場にて無事終了し、講習会終わりのあいさつで、脱会・解散を公表され受講生皆が驚いておりました。
四国本部は武田時宗宗家より認可され発足。今井先生から千葉先生へと継承されてきました。
時宗宗家が亡くなられ、大東館が存続しない今、師は宗家の許可を頂いての【武田菱】使用もこれからは難しくなるとの考えをもっておられ、何より 武田惣角・中津先生そして千葉先生に伝承されてきた技を絶やすことがないよう会派を立上げ、我々が今後困らないように設立して頂いたと感謝致します。
講習会では まったくと言っていいほど ” 基本技” はされませんでした。何故か?
また別の機会があれば、師の話をしたいと思っております。
お酒が注がれた盃を全力で振ってなお、お酒が盃に残っている状態と表現される事もあります。
私の考えは、上述の内容を踏まえ相手に対する【念】が心になければならないと考えます。
生きとし生けるものみなは、常に命を懸けて生きているわけです。この平和な日本においても同じです。
私たち日本人に自然と身についている『いただきます』が『残心の心』ではないかと・・・。
何をいただくのか? ずばり【いのち】なのです。生き続けるために他のいのちをいただくのです。
また、【いただき】とは山の頂上を表します。すなわち他のいのちを尊び崇め合掌をするのです。
国技としての相撲の取り組みで勝者がガッツポーズする事に日本人は違和感を感じるのは、この様な武道感が身に付いているからではないでしょうか。外国の方には理解しにくいかもしれませんね。
当流においては・・・
残心についての明確な表現は一度も耳にしたことはありませんが、『残心をとるように』との指導を受けたことはあります。
しかし、『敵が物陰から狙っているかも知れないから』と手の使い方・目の使い方等は教えられました。
師曰く『両手をバンザイしての残心は意味がないじゃろ、演武用かな、他流でも見ないじゃろ』と。
『残心は近くでするものじゃ』とも指導されました。
余談...
千葉先生の弟子として25年以上の長き時間、道場での指導、師宅での指導、我家での貴重なお話等々は、私の武道感の根幹を成している事は間違いありません。
『目立たんほうがええんじゃ、極道の道楽じゃからな』『技については本当の事は言わんわ』『ウソも言っとらんけどな』とおしゃっていたのが懐かしい。
2020年7月1日で4年目に突入となった【千顯会】、時間の経つのが早いです。
思い起こせば 2017年5月 師宅を訪れた時、唐突に会派設立の話があり、既に会派名まで数種類考え半紙に墨で書かれてありました。そして、琢磨会から脱会し、四国本部も解散する旨を話されました。脱会・解散についての理由はここでは申し上げれませんが 『後世に残すためじゃ』と申されました。
2017年6月11日、千葉先生の四国本部としての最後の講習会が徳島県脇町中学校武道場にて無事終了し、講習会終わりのあいさつで、脱会・解散を公表され受講生皆が驚いておりました。
四国本部は武田時宗宗家より認可され発足。今井先生から千葉先生へと継承されてきました。
時宗宗家が亡くなられ、大東館が存続しない今、師は宗家の許可を頂いての【武田菱】使用もこれからは難しくなるとの考えをもっておられ、何より 武田惣角・中津先生そして千葉先生に伝承されてきた技を絶やすことがないよう会派を立上げ、我々が今後困らないように設立して頂いたと感謝致します。
講習会では まったくと言っていいほど ” 基本技” はされませんでした。何故か?
また別の機会があれば、師の話をしたいと思っております。
◇ 其之二 ◇
形稽古
形稽古
武道の形稽古は静でなく動である。
動とは己の動に対し相手が動じ、それにいかに反応した動きが出来るかの稽古である。
相手の動きに即反応し対処するには心自由でなければならない。
囚われず拘らない心が大事になる。
囚われず拘らない心になるためにはどうすればいいのか?
心を無くせばよい。
すなわち無心となるのである。
頭で考えず己の身体を鏡と化し、ただただ反応し動じればよい。
形稽古の究極の目的は、無心になれる自己形成の稽古である。
人は、誰しも自己中心的な考えを抱き衝突が起こる。
全てを受け入れられる心があればプラスもマイナスも生ぜず無の状態となるのである。
有形の技を持って無形の心を鍛え上げ向成となる。
すなわち 和 賀 心 と知るべし。
動とは己の動に対し相手が動じ、それにいかに反応した動きが出来るかの稽古である。
相手の動きに即反応し対処するには心自由でなければならない。
囚われず拘らない心が大事になる。
囚われず拘らない心になるためにはどうすればいいのか?
心を無くせばよい。
すなわち無心となるのである。
頭で考えず己の身体を鏡と化し、ただただ反応し動じればよい。
形稽古の究極の目的は、無心になれる自己形成の稽古である。
人は、誰しも自己中心的な考えを抱き衝突が起こる。
全てを受け入れられる心があればプラスもマイナスも生ぜず無の状態となるのである。
有形の技を持って無形の心を鍛え上げ向成となる。
すなわち 和 賀 心 と知るべし。
◇ 其之一 ◇
“ち”と“き”とは
そして【合 気】とは・・・
“ち”と“き”とは
そして【合 気】とは・・・
日本の「ことば」には意味があります。
《いのち》とは 生きる為の不思議な力と言うところから《いのち》なのです。
息《いき》も生きる為の不思議な力です。“ち”も“き”も不思議な力を表す時に使われております。
知恵(ちえ)・血(ち)・力(ちから)天気(てんき)・気分(きぶん)等々です。
そして“ち”は自分の内から湧き出る不思議な力、“き”は外から降り注がれる不思議な力を表しております。
それでは【合 気】(あいき)とは・・・
気を合わすことであり不思議な力(気持)に合わす事なのか?
切り掛かろうとする不思議な力(=き)に対し、切られまいとするのではなく、切られる気持ち(=き)になる事が【合 気】なのかも・・・そんな刹那、まさに不思議な力がこみ上げ、技が術となるように思えます。
術を身につける事、それは捨てる事が大事なのか・・・大東流柔術から大東流合気之柔術そして合気術へと修得し、表現出来るには・・・合気とは気のぶつかり合う修行なのか?
ぶつかり合う瞬間の呼吸、吸うでもなく吐くでもなく一点にて静止する事なり。
息(呼吸)は精神(霊)と体を結び付けているものなり。
息(イキ)無くして生きておれず。
吸う息は考える息、吐く息は生み出す息である。
吸ってから止めるのか?吐いてから止めるのか?非常に難問でありますが大事な事です。
現代運動生理学からすれば、吐いた身体の状態が強いと説明するでしょう。
武道の稽古を続ける私とすれば、吸う息は死を意味する(息を引取る)事となり吸う息より吐く息を意識することに重きを置くことが大切な気もします。
【無になる事は気が満ちている状態となる事と知るべし】
《いのち》とは 生きる為の不思議な力と言うところから《いのち》なのです。
息《いき》も生きる為の不思議な力です。“ち”も“き”も不思議な力を表す時に使われております。
知恵(ちえ)・血(ち)・力(ちから)天気(てんき)・気分(きぶん)等々です。
そして“ち”は自分の内から湧き出る不思議な力、“き”は外から降り注がれる不思議な力を表しております。
それでは【合 気】(あいき)とは・・・
気を合わすことであり不思議な力(気持)に合わす事なのか?
切り掛かろうとする不思議な力(=き)に対し、切られまいとするのではなく、切られる気持ち(=き)になる事が【合 気】なのかも・・・そんな刹那、まさに不思議な力がこみ上げ、技が術となるように思えます。
術を身につける事、それは捨てる事が大事なのか・・・大東流柔術から大東流合気之柔術そして合気術へと修得し、表現出来るには・・・合気とは気のぶつかり合う修行なのか?
ぶつかり合う瞬間の呼吸、吸うでもなく吐くでもなく一点にて静止する事なり。
息(呼吸)は精神(霊)と体を結び付けているものなり。
息(イキ)無くして生きておれず。
吸う息は考える息、吐く息は生み出す息である。
吸ってから止めるのか?吐いてから止めるのか?非常に難問でありますが大事な事です。
現代運動生理学からすれば、吐いた身体の状態が強いと説明するでしょう。
武道の稽古を続ける私とすれば、吸う息は死を意味する(息を引取る)事となり吸う息より吐く息を意識することに重きを置くことが大切な気もします。
【無になる事は気が満ちている状態となる事と知るべし】